一、贋版操年代記

 九日会の第三回へ出陳されたうちで、杉本要氏の「今昔操年代記」全一冊、一寸珍しい異版で私の眼を引いた。元來、「今昔操年代記」は、「享保十二年のとしひつじの孟春吉辰」の出版で、全二冊の絵入半紙本、「摂州大阪南木挽町、作者正本屋九左衞門、開板人同前」と奥付に記されてゐる。即ち、著者・板元は共に正本屋九左衞門。(作者号を西澤一風と言つた人)彼は若い時から井上播磨掾について浄瑠璃を習ひ、後に作者として立ち、豊竹座の爲に相当な新作を提供してゐる。また板元として豊竹座の院本を多数上梓してゐる。初代義太夫・豊竹若太夫等と時代を同じうしてゐるので、この人の年代記は、かなり信憑してもいゝもので、(尤も多少の錯誤は免れない)、文献の少い操史にとつては、根本資料とされてゐるものである。ところが、出陳された「操年代記」は、全一冊、横本の役者評判記型で、「寛政八辰九月吉日・伊勢丁裏川岸清板」とあるのだから、これは江戸板で、享保版の複刻でもないから全くの異版と認むべきものである。或は異版と申さうよりは、偽版と言つた方が良いかと考へられるものである。出版良心に乏しい本の拵へ方から見ても、重要性のある名高い「操年代記」をぬすんだものであらう。例へぱ、原本の挿画を偽版では全部抜いてゐるし、また、作者の目録も省き、序文を変へてゐるたけで、新に加はつた何ものもない。違つてゐるといへば、漢字や仮名を入れかへてゐるだけで、これを見ても意識的にぬすんだものと断じてもいゝやうだ。

 この挿画の省かれてゐることについては重大な意味がある。私は、「操年代記」の価値を、今日から見て、享保十二年の豊竹座の「北條時頼記」の画、これ一枚に存するとまで思つてゐる。それは藤井小三郎・近松八九郎の「雪の鉢の木」の舞台面であるが、この一枚の画のために、元禄から享保にかけての、操りの一形式がハツキリと判るといふ、操史上の実に貴重な文献書証である。この藤井小三郎の人形の遣ひ方は、辰松風と違ふところに意義があるので、辰松八郎兵衛の差込み手といふ遣ひ方からは、今日の三人遣ひは発達しないで、この小三郎等が、吉田文三郎の顰みに倣つたこの遣ひ方の形式から発達してゐるのである。しかしこれは余談だから、詳しくは他の機会に述べたい。

 この年代記の異版については、かつて藤井紫影博士が記されたことがある。そして、この本の広告に、「三芝居役者評判記、元禄年中より宝永正徳時代江戸四座の評判記御座候間御もとめ可被下候、もつともかし本にもいたし候」とあるのを見て、「この本屋の身元が窺はれる」と言つて居られる。

 私は、最も知りたいと思ふ元禄期の古歌舞伎の古評判記が、今日もはやなか/\見られないので、偽版でもいゝ、この操年代記の板元の本清あたりで、抜書の評判記でも偽版してゐないかと心掛けてゐるが、今日ではそれすらもない。もつとも本清の粗雑な評判記は、あるにはあるが、元禄期のものは見当らない。

 大体、「本清」といふのは「中山清七」といふ、評判記をちよい/\出してゐる店と同じものでなからうか。手許にある「本清」乃至「中山清七」出版の評判記を二三抽出してみると

○安永八年五月 「二の替再評」1冊(助六の評判) 葦屋町河岸 中山清七

○天明元年「役者茶臼芸」三冊(所書破損)本清

○天明二年六月「役者助六噺」二冊 江戸本町四丁目大よこ町 中山清七

○天明五年三月「役者三ッ叶」三冊 江戸本町四丁目角 中山清七

○寛政七年正月「役者恵宝参」三冊 伊勢町裏川岸 本清

○享和三年三月「役者花相撲」一冊 本石町四丁目横町 本清

といふ風に、いろ/\になつてゐるが、恐らく本清も中山清七も同じ店であらう。何よりも、粗雑な版の様式が、一見して共通した点が多い。

話がそれたが、「今昔操年代記」の価値が江戸に於て偽版が出來るほど世間から認められてゐたことが判るといふ意味でも、これは一寸面白い異本である。中山清七といひ、本清とひ、元禄の評判記があるといふが、この古評判記については恐らく偽版を作つたものではなく、借本屋・古本屋の広告の心積りででもあらうか。こゝらが藤井博士の言はれる「本屋の身元が窺はるゝ」所以であらう。

石割松太郎 随筆 世話もの談義